漕ぐ

「生きてく」ってのは時に荒行に近いものがあるんじゃないかとさえ思う。
時代も事情も、今とは全然違うけれど、来世に極楽浄土を求めたのもなぜか理解出来る。
人の成功談があまり役に立たないのも、そこに偶然の要素が介在していてることが多く、数学の方程式のように誰がやっても同じ結果が出るわけではない、という理由によるものなのかもしれないし。
人の一生は様々偶然の要素に翻弄されて、荒波を小さな舟で漕いでゆくようなものなのかもしれない。
嵐に転覆するかしないか。たとえしたとして、近くにつかまれる何かがあるか。
すべてが結果論であるとしても、そしてその結果が見えないとしても、漕ぐ手はやめたくはない。
すべてに絶望して、「もう自分は終わったな。。」と思った人生を、今もまだこうしてやっているのだから。