今回のイラク人質問題に思うこと

イラクで人質になった3人のうち2人が昨日記者会見を行った。
登場から退場まで、すべてをリアルタイムで見たわけではない、ニュースとして編集されたものを見ただけなので、もしかしたら偏った見方をしてしまっているかもしれない。
けれど、やはり青いな、と正直思った。
もちろん若いのだから青くて当たり前だし、そういう部分がなかったら、いや、そういう人がいなかったら、社会は本当に腐敗するだけしてしまうだろう。

PTSDと診断された一番の原因は、自身としては何だと思うか」という質問にジャーナリストの彼が答えた中に、「自分が信念を持って行ったことと、その捉えられ方とのギャップ」というものがあった。
“信念”は大切だ。
だけれど、人は信念を持って戦争という名の人殺しだってやる生き物だ。
主観的な“信念”が客観的にはどう見えるのか、を常に意識したとしても、ひとりよがりになりがちなのものでもある。
そういう怖さを持ったものなんだ。

もうひとつ。
今回これだけ世論の反発を招いてしまったのには、支援者らの初期の言動の影響も大きいのではないかと思う。
私が見た番組の中で、年配のジャーナリストは奥さんに向かって「もし俺の身に同じことが起きたとしても、命を助けてくれと政府に泣きついたりしないでくれよ。それだけの覚悟を持ってやっているのだから。」と言ったと語っていたけれども、人の感情というのはまさにそういうものなんだと思う。難しいけれど。
もし政府が少しでも弱みを見せれば、この手は使える、と同じことが他の地域でも繰り返されるだけ。
命の危険を顧みず向かうことに使命感を感じて行くのがジャーナリストや個々の活動家だろうしそれは自由。けれど、誰かを責めたところで、誰かの責にしたところで解決しやしない社会の矛盾を追うことも使命だろう。
スケープゴートを作り出してしまうヒステリックさもどこか危ういし、そしてそれをすぐ忘れてしまうことも、なんだか危うい気がする。