部分と全体

科学者だって、自分の立てた仮説を立証するために都合の良い部分だけを見て都合のよい実験を行って都合の良いデータだけを集めてしまうことだってある。
いわんや一般人が、すべて網羅された世界を見ているわけがない。
そしてそんなどでかいサイズを見れるわけもない。
それが部分でしかないことを知り、そしてどこに線を入れるかに常に意識的であってもまだ足りず、流動性に対して柔軟であってもまだ足りないと知ることなのだろうと思う。