佐世保での事件

ニュースで知った時「え?うそでしょ?」と思った。
小学6年生が?
言葉もない。

事件の被害者の父親が会見を行った席で言ったという言葉が、報道する側と被害者側との間にいつも起きる問題の核心にあるのだろう、と感じた。
「正直、話をしたくないと思ったが、この仕事をしていて、逆の立場ならお願いしている」asahi.com記事より

そして、事件の背景には“HP”や“BBSへの書き込み”というネット独自の文化があるらしいことも見えてきた。
もしそれが本当に事件に深い関係があるとしたら。。


文字だけで自分の真意を伝えるのは、大人だって難しいのに、ましてや子ども同士でどこまでそういう人間の本質を理解出来ているかは未知数だ。
その上、ネットでは人間関係の部分しか見えない。
お互い本名も知らずネットだけの付き合いの人から、実生活で毎日会っている人まで、同じBBSでしかもHNという便利かつ凶器ともなる道具を使って会話している仮想世界だ。
自分も経験あるけれども、実生活ではなかなか現われない性格がネット上では突如現われたり、書かれた文字しか見えないからそれ以外の部分を無意識にも誇大妄想や想像して勝手に解釈してしまったり。
プラスもあればマイナスもあるネット社会。
人は、発明してしまったけれど使い方に不充分のままいつも見切り発車をして、犠牲者が出て初めてその不具合を知らされ修正していく、ということを繰り返す。
そして、年間1万人もの人が交通事故で亡くなっているというのに、利便性を優先しているのも人間だ。
という自分だってもちろん車を利用している。何も言えた義理じゃない。
便利さについ矛盾に目をそらして、事件が起きた時だけ考える、という矛盾さえ時間が経てば忘れて。
人間ってのはそういう生き物だ、って大前提で進めていかなければいけないんだな、きっと。
その時々の事件関係者個人の責ばかり追及しないで。


それにしても、携帯やらネットやらを使った急速なコミュニケーションの新しいあり方に対応出来ていない自分達を自覚して、そして一番影響大な子ども達を守るすべにもっと真剣にならないといけないんだと痛感する。
犯罪の温床になるか、文化の牽引車になるか。
いつも新しい技術が生まれるとそこに戦いが起きて誰かが血を流してきたし、これからもそうして行くしかないのかもしれない。
自分の身を守るのは自分の責だとしても、全体として問題を確認して啓蒙することもこの動きの早い時代には必要なんだと思う。
もちろん、否定的な部分ばかり見るのではなくてね。