無常観

私は高校生の頃からこれが好きなのだけれども。。
ただ当時はどうも多少“無情”という言葉の意味と混同していたところもなきにしもあらず。
“どうして楽しい時や人生を肯定出来るような時を過ごせる環境”は長くは続かないのだろう、と思ったりしたもので、古文の時間が好きだったりしたある種変わり者かもしれない。あと、倫社も好きだったしね。哲学が好きなのは今も変わらないし。
人は死に行くから“生”に価値があるのであって、終わりのないものにはもしかしたら評価を与える〆がないわけで、その意味合いを考えることなどあろうはずもない。
いつか終わりが来ることを知って始めて、大切に丁寧に、と思えるものなのだろな、とつくづく最近思う。

追記すれば、高校生の頃感じていたのはおそらく、“無力感”に近いものだったように思われる。
まだ自分の側からだけしか物事を見ることが出来ない、そんな年頃だったのだから。