“言葉”についてその1

“言葉”をこうして使っていて、その言葉に対する概念や抱く感情が人それぞれ違っているこを全く意識せずにいるのは難しい。
仮に自分が抱いてる概念と世間一般的に理解されているそれと完璧に一致する言葉を見つけ出せたとしても、それが完璧に伝わる保証はない。
当たり前だけれど。
そして、人はそもそも考え事をする時に“言葉”を利用していないとする考察もある。
確かに言われてみればそんな感じもする。
だから、何かを解き明かしたいとき、例えば問題点、修正すべきものなどははっきり具体的に言葉にするべきであっても、そこから先を“言葉”にして文字にして行おうとして、例えば日記のような形にして行おうとすると、意識下で処理されている情報が、“言葉”という箱に収まりきらない分が抜け落ちて思考している自己に伝えられたり、あるいは合わせるために本来の形が歪んでしまったりと無理が起きるのではないだろうか。
と、“言葉”について掘り進んで行くと、たった一つの言葉を探し出すのにも苦悶してしまいそうだけれど、、私の場合は程好く(?)いい加減なのであまり気にしない。
あるいは、言葉を紡ぎだす時に実は言葉を使っていない自分を知っているからかな。。