言葉についてその2

ある“言葉”を世間的な理解そのままに自己に理解させて、自分の内部から発された意識としてではなく使っているように感じる人を時々見かける。
この人の自我はいったいどこにあるのだろう?
その人と話をしているようで、でも違うような不思議な感覚を抱いてしまうことがある。
それは“言葉”だけではなくてもっとサイズのでかくなったもの、例えばある“文化”を、自分のものとして身につけているのではなく、身につけていたいという願望からなのか、ただ羽織ったただけ模してみただけ、というような違和感を感じることもある。
この人の自我は、本来の姿はいったいどこにあるのだろう?
って、、もしかして私も他人にそんな感情を抱かせていたりして。。
何しろ、他人の心になってみるわけにはいかないからね、、こればかりは確認の仕様がないから永遠の謎か。。