すべきとしたい

ある瞬間の選択として、「○○すべき」と「○○したい」の二つがあるとして、人はどちらを選択“すべき”だろう?
あるいは“したい”だろう?
極論すれば、“すべき”は客観的な判断、“したい”は主観的な判断。
そしてそのどちらが望ましい結果を得られるだろうか、と考えるのは“すべき”の判断。
望ましい結果より過程、その間の時間、自分のままを生きたいと望むなら“したい”の判断。
もちろん実生活においては相手のあることだから、100%“したい”を選択することはなく、相手や周囲との兼ね合いで“すべき”も考慮していくのが現実。
ただしその“すべき”を客観的に判断したつもりでもひとりよがりであったりしてしまうことがあるのも真実。
“すべき”にすべきか“したい”にすべきか、それが問題だ。